小山絵里奈 OFFICIAL WEB

お気に入りに追加します お気に入りに追加

アーティスト、タレント、モデル、ファッション、アスリート、有名人ブログpowered by syncl

NEWS

ERINA_NEWS発行中。

ご登録は こちら へどうぞ。

___________________














詳細 >>

CALENDER

PROFILE

「小山絵里奈の音楽を初めて耳にした時、
そのユニークな才能にぶっ飛んだ」
生まれて初めて作った曲「Dance withTarantula」が
坂本龍一の耳にとまりその場でプロになる事を
勧められる。
その後、坂本龍一エグゼクティブ・プロデュース
ミニアルバム「INLY」でデビュー。

2007年、マスタリングエンジニアにTed Jensen、
MIXエンジニアに坂本龍一, ZAK, 竹村ノブカズらを
起用したアルバム「VIVIDROP」をリリース。

2008年、作詞作曲・レコーディングからミックス
までをも自らで手がけたアルバム
「NOMMO」が6月、iTMSなどで配信リリース。
また「INLY」「VIVIDROP「NOMMO」の
楽曲も入ったオリジナル・コンパイル版が
7月末に全世界26カ国配信リリース。

2009年3月、フランス、ニームで開催される
日本の多様なアートを紹介するヨーロッパ最大の
フェスティバル「LEX2009」に出演。

オーダーハンドメイドのピアノカリンバによる独奏など
豊かな歌声、響きを奏でる。







詳細 >>

動作環境

Windows XP(推奨),2000,vista
Mac OS X 10.x
Internet Explorer 6以上
Mozilla Firefox 2以上
Safari 最低2以上(3以上推奨)
Windows Media Player 9以降
Adobe Flash Player バージョン8以上
* Cookie および ActiveXを有効にしてください

動作環境について

INTERVIEWER

 小山絵里奈がいろんな先輩達に会いに行く!

(1)

 今回はカントリー&ウェスタン・シンガーのトミ藤山さん。小山絵里奈とカントリー?とお思いかもしれませんが、実はこのお二人、昔からの深い縁で結ばれていて、一緒にステージに上がったこともあるとのこと。小山絵里奈が音楽や歌うことについて深いところまで大先輩と語り合う、読み応えある対談になりました。

——トミ藤山さんは1953年にデビューされて、すでに半世紀以上、カントリー&ウェスタン歌手としてのキャリアをお持ちです。大先輩に敢えてお聞きしたいのですが、カントリーの魅力はどのようなものでしょう?

そうだね、今のカントリーはちょっと違っちゃっているけれど、昔のカントリーはね、素朴な良さがあったわね。ハンク・ウィリアムス、ハンク・スノーといった人達が、素朴にギター一本でポロンと歌っていたようなもののことね。もの悲しいような美しいメロディと美しい詞で、平和で夢のあるような、ロマンティックな詞が多かったの。1960年代終わりくらいからは、ベトナム戦争に対しての反戦や世相を歌った歌が出てきたのよね。私はそれ以前のロマンティックなものが好きで、それが好きでカントリーに入ったの。

——一方でトミさんは民謡や日本の音楽にも造詣が深くいらっしゃいますが、日本の音楽の魅力についても教えて頂けますか?

自分のことを話すほうが早いかな。私は名古屋生まれで、近所には中村遊郭があったのね。だから周りには三味線やギターを持った流しの人がいたり、三味線のお師匠さんがいたのよ。三味線の音を朝から晩まで聴きながら私も弾きたいなあと思っていたのを覚えてる。そのうちに市丸●●●さんや小唄勝太郎さんといった方々の歌を聴くようになって、“こぶし、ころびっていいものだな”と思うようになった。子どもの頃からそういう日本調歌謡曲が好きで、だんだんそういう歌を歌うようになっていたの。

——もともと身近なものだったんですね。

それで、私たちの世代が憧れたのは美空ひばりさんですよ。ある時、私が豊橋で歌っていたら、楽屋に“東海の美空ひばり”って子がやってきた。その子が大津美子さんだったんですけど、あのね、その頃は、全国的に美空ひばりがいっぱいいたの(笑)。美空ひ「は」りとか美空「こ」ひばりとか青空ひばりとか(笑)。とにかくお客さんに勘違いさせる(笑)。話飛んじゃったね。あれ、なんの話だったっけ?

——(笑)日本の音楽の魅力、なんですけれども。

(手を叩いて笑う)ああそうだった。ごめんね。とにかく、美空ひばりさんが好きで歌うようになったのね。今、日本調の歌を歌える人って実はいないのよ。ほとんどいない。さっきの市丸さんや小唄さん、赤坂小梅さんとか、“鶯芸者”と言われていた人たちの歌い方、それは“こぶし”じゃなくて、“ころび”という唱法なのね。民謡でコロコロ転がすのが“こぶし”、日本調の場合は“ころび”って言うの。それが私は好きで、それに合わせて、私、自分の著書を『ころび転ぶよ音楽人生』と名づけたんだけど、その“ころび”は実際に転ぶっていうことじゃなくて、その日本調の唱法のことなの。でもね、本出してから3回ほど実際に転んだんだ(笑)。骨も折ったしさ(笑)。本のタイトルが良くなかったね(笑)。あれ!また話が飛んじゃってない? ごめんね! なんの話だったっけ?

——(笑)なんでしたっけ? えーと、こうやってお話を聞いていても私が知らないことばかりなので、改めて、トミさんのこれまでの歩みについてお話し頂けますか?

はい、わかりました。私は1940年生まれ、昭和で言うと15年の生まれだね。東京に出てきたのが13歳で、14か15で米軍基地を周り出したんだ。米軍基地ではカントリーが喜ばれるから、そういう歌手やバンドがたくさんいたの。小坂一也、ジミー時田、黒田美治とか、それこそいかりや長介さんのドリフターズとかね。彼らはとっくに大学生で、カントリーが好きで基地で演奏しているうちにプロになってちゃったという感じだったね。その頃の日本のカントリーバンドはみんな上手かったし、すごく良かったのよ。やっぱり、若くて燃えてたわよね。

——ドリフターズというと、あの『8時だヨ全員集合!』のドリフですよね?

そうよ。あのドリフターズには前身があって、彼らは桜井輝男(ドリフターズ2代目リーダー)とドリフターズという、カントリー専門のバンドだったの。それが長さんが入ったりジャイアント吉田さんが入ったりで、最終的にはマウンテン・プレイボーイズというバンドになったのね。それがいろいろあってナベプロに彼らがドリフターズとして入って、コミック路線で『8時だヨ全員集合!』に出ることになったの。マウンテン・プレイボーイズのほうは寺内タケシとジャイアント吉田が出て、吉田さんは小野ヤスシさんとドンキーカルテットを作って、とか、いろいろあったのよ。当時のコミック路線はクレイジー・キャッツが有名だったけど、ドリフターズはその後を継いだということになるのかしらね。

——知らなかったことばかりです。トミさんの本を読ませて頂くと、ベトナム戦争中にベトナムに行って慰問演奏をされていたというエピソードがあって、とても印象的だったんですけれども。

あの時はねえ、ベトナム人と間違われたんだ。同じアジア人で、目も髪も同じですからね。基地のゲートでパスポートを見せろって言うんだけど、私がベトナム人のゲリラなんじゃないかと疑ってくるわけ。ベトナムは米軍にとって敵だから、ベトナム人はもちろん簡単には基地には入れない。でもそれじゃ仕事にならないから、私はベトナム人じゃない、日本人なんだって頑張るんだけど、なかなか信用されないんだ。まあ、最終的には入れたんだけどね。

——大変ですね……。

あのね、ベトナムに行って一番困ったことはね、私はどっちの味方なのかを考えさせられたことだね。アメリカ人の兵隊さんのための慰問で行ってるから、私はもちろんアメリカ人の敵ではない。でも、ベトナム人の敵でもないわけ。仕事で歌を歌ってるだけで、どちらの味方でもないし、どちらのスパイにもなりたくない。
 でもね、ある時、アメリカの兵隊に“トイレに行って見てこい”と言われたんだ。それはトイレにプラスチック爆弾が仕掛けられていないかどうかを見て来いということなの。そのときは無かったけど、その数日後、オーストラリアからのダンサーがショーをやってる最中に爆発があって、ステージごと吹き飛んじゃったことがあったんだ。ベトナム人の基地従業員が、仕事をするふりして最前列のテーブルにプラスチック爆弾を仕掛けて爆発させたらしいの。

——……。

それは絶対にベトナム人じゃないと出来ないし、やらないこと。だから、誰も信用できなくなるわけ。そういう状況なわけだから、本当は絶対に許されることじゃないけど、アメリカ兵が女や子供を殺してしまう気持ちもわからなくもない。絶対に良くないことなんだけれどもね。基地の周りはね、建物もなにもなく原っぱが広がってるだけで、基地で働くベトナム人女性は、ここではきれいな水が出るから言いながら基地のトイレで食事を作ったりしているし、5つか6つの孤児達は原っぱで輪になってタバコを喫いながら博打をしていたりする。テレビで見たことはあったけれど、実際に見るとびっくりするよね。戦後の日本もああいうものだったのかもしれないね。

——そんな中で、歌を歌うということはどのようなものなんでしょう?

ひとことでは言えないけれど、やっぱり壮絶な思い出として残っているわね。戦地というのはみな極度の精神状況だから、本当に殺伐としているわけ。野戦病院で歌ったりしたこともある。そこで倒れている人達はもう怪我がひどくて拍手もできないんだけど、目を潤ませて感謝の気持ちを表してくれたりするんだ。胸が熱くなって、最後まで歌い通すことが出来なかったね。











(2)

——私(小山)とトミさんが初めて一緒にステージに立ったのはいつ頃でしたっけ?

10年ちょっと前頃...「りぶる」だったかな? そこにあなたが手伝いに来ていて、ある時一緒にステージに上がって歌ったのが最初だったかもね。「アルプスの少女ハイジ」をやったんだけど、受けるんだよね。親子がやってるみたいでね(笑)。私がハイジのお母さんで、あなたがハイジ。店員のエプロンをかけたままでステージに出ちゃっていたわね。ああいう歌を歌うときにはかわいい声を出すのよねえ。

——(笑)普段は違いますか?

かわいい声だけじゃないじゃない? アルバム『NOMMO』を聴いたけどさ、あなたはいくつも声を持っているような気がするわね。わざと自分で面白く歌ったりしていてね。昔あなたが「リンゴ追分」を歌ったのを聴いた時はショックを受けたのを覚えてるわよ。あの「リンゴ追分」がこんなふうに変わるもんかって(笑)。

——すみません……。

ううん違う違う、あなた、すごいわよ。あなたにかかるとよく知ってるものがもっと違うものになっちゃうのよね。普通は使う音って決まってるの。でも貴方はえっ?!というような音がポーンと出てくるのよ。不思議な人だなとは思ってね。だからと言って普通の歌は歌えないのかと言えば、「アルプスの少女ハイジ」の時なんかは、普通に素直に、ホントに童謡みたいに歌うの。なのに、他の曲になってくると違う。あまりこういう歌手はいないよね。あんた、頭の中どうなってんのよ(笑)

——(笑)

頭の中をいっぺん見てみたいわね(笑)。この才能はどこから出てくるんだろうと思った。私なんかは考えもつかないね。でもこれは、あなたが若いからってことじゃないな。発想の問題ね。

——うーん、発想ですか?

だってさ、「MARIMBON」だって、おじいさんが亡くなって、お骨とお骨とを当ててみたら、音楽的に面白い音がする、だから今度の曲にそれを入れたというんでしょう? そんなこと、あなた、普通考える? 骨と骨を当ててみたらなんて、人間としてどうなのよ(笑)。

——(笑)いやいや。あの音は一応備長炭なんですけどね、さすがに

確かに似てるかもね。あのね、昔、「骨まで愛して」という歌があったの。私はその当時、人間、骨まで愛せるのかな?とビックリしたんだけれどもね。でも、今なら少しわかる。本当に好きな人の骨だったら、今ここにあるもの全部愛しいと思うということなんだよね。だからあなたの「MARIMBON」の場合は、おじいちゃんが死んじゃって悲しいけれど、悲しんでる場合じゃなくて、その骨を使って、おじいちゃんに「私は元気で歌ってます」って天国に届くように音を叩いてるんじゃないかな、と、私はそう思って聴いてたんだけれど。

——おおおおお。

あなたの考えてることや感覚的なことは、なんとなく、私には理解できる。私もちょっと変わってるんだよ。私も宇宙人だから(笑)。あなたと私は宇宙人かもね(笑)。だって音楽って、良い曲だとか上手いとかかわいいとか、そんな条件ばっかりじゃない? 今の音楽業界は、アイデアが変わってる人がいないのよ。作られたものをはいっと言って歌うという人ばかりでしょう? あの人達はあの人達なりの世界があるけれどもね。でも、あなたは、そういう人達とは違う世界を持ってる。だから、例え何を言われても絶対に気にすることもないし、他の人のような曲を作ることもないと思うわよ。

——ありがとうございます!

だって、あなたの方が、ずっと奇抜だからね(笑)。

——(笑)奇抜ですかね?

だって、あなたみたいな人が出てきたら、次に出てくる人は難しいと思うわよう。だって骨ぐらいじゃ済まないもんね(笑)。骨の後は血の海かなあ? それじゃなかなか音楽にならないねえ(笑)。世界中に音楽をやる人たちがいるけど、こういう発想はないと思う。あなたは世界に認められる可能性があると思うよ。個性が強いからね。

——ありがとうございます! 私は音楽の先輩として、トミさんにはお聞きしたいことがあるのですが、
日本で女性が音楽をやっていくことと人生の関係についてはいかが思われますか?

まず私の場合はね、歌を歌うということはごく自然なものだったの。まだ私が3つか4つの頃から、うちにはレコードとプレーヤーがあったのね。父親が言うには、霧島昇の「誰か故郷を想わざる」とか、市丸さんの「天竜下れば」をかけろ、と言うと、まだ字も読めない私がちゃんとそのレコードを持ってプレーヤーにかけていたらしいのよ。

——それはすごい。

その頃から音に関することはわかっていたらしいの。だからね、私が勝手に自分で決めているのは、神様から使命を持って生まれてきたんだということ。神様が私に“あなたは歌を歌いなさい、歌って、世の中の人を幸せにしてあげなさい”と才能を与えてこの世に出てきたと思っているの。だから、私から歌を取っちゃったらなにもない。歌い続けることは、自分自身にとっても幸せなことなの。歌が歌えなくなったら死んだ方がいいと思うくらい。

——素晴らしいですね!

だからさ、指を骨折したときはほんとに辛かったよね! ギターが弾けないっていうのはさ。もうね、絶対に二度と転ぶもんかと思ったもんね(笑)。

——(笑)お身体大切にされて下さいよ。

そうね、もう転びたくないよね!(笑)

——(笑)でも、基本的にはトミさんは今もすごくお元気ですよね。ここまで元気でこられたコツはなんだと思いますか?

それはやっぱり、“歌うことは生きること”だからじゃないかな。私が歌を歌えなくなった時は心臓が止まったとき。息している限り、声が出る限り、歌っていこうと思ってる。

——なるほど。

あのね、長く続けようとして続いたんじゃなくてね、好きな歌を歌っていたらどんどん月日が経っちゃったの。10年経った、20年経った、今はもう50年が経ってるね。振り返るとびっくりするよね。でもね、“50年もよく歌えるわね”と時々言われるけれど、自分では50年歌ったとは全く思ってない。デビューも昨日のことみたい。当時と変わらない気持ちだわね。だからいつもステージに立つと、自分じゃ20歳……それはちょっと難しいかな(笑)、でも30歳くらいの気持ちだよ。

——トミさん、お若いですもん。

だって歌を歌うということは、毎回毎回が新鮮なことでしょう? ステージに立てば、今日は見たことがないお客さんが来てる。ああいう人達はこういうのが好きなんじゃないかな?こっちかな?とか考えるしね。私なんかステージの上から直接聞いちゃうからね(笑)。“あんた、どんな音楽が好きなの?”と聞くと“SMAP!”とか返ってきちゃうんだけど(笑)。でも“「アルプスの少女ハイジ」は?”と聞くと“知ってる!”とくる。そこから引っ張ってくるの。あのね、私は常日頃から“100歳まで歌います”って言ってるんだけど、私のファンって60代か70代が多くて、私が100歳の時に生きてる人が少ないかもしれないでしょ(笑)。そうなると、先の長いファンは大切だからね(笑)。一度、広島のステージで6歳、7歳、8歳の子がステージに上がったことがあったな。かわいかったわよ。私と客席のお客さんも含めて、本当に親子三代で音楽を楽しむことができる。それはもう本当に嬉しいことよ。

——トミさんは100歳を平気で超えちゃう気がしますよ(笑)。

(笑)そう思う? みんなに言われんのよ。だから若いファンをどんどん増やしていかないといけないの(笑)。若いファン達に、私が100歳になった暁を見てもらうの。1月10日が誕生日だから、その時にギターを持って歌っていたい。夢だよね。で、その1曲が歌い終わったら心臓が止まってもいいんだ。それで十分なの、私は。





次回へ。